JRA 馬術&引退競走馬

引退競走馬(オーストラリア)
いろいろな課題を抱える人を支える馬たち
レーシング・ハーツ / エクイン・パスウェイ・オーストラリア

レーシング・ハーツの創立者 リサ・コフィーさん

馬とともにセラピーを提供する レーシング・ハーツ

「サラブレッドはアシスタント・セラピストというこの重要な仕事に特に適しているのよ」そう語るのは、レーシング・ハーツ(Racing Hearts Equine Assisted Therapy)の設立者リサ・コフィーさん。彼女は、馬とともにセラピーを行う、エクイン・アシスティッド・サイコセラピストとして活躍しています。
レーシング・ハーツは、メンタルヘルスの課題を抱える人々に引退競走馬と一緒に心理療法を提供している施設です。オーストラリア南東部の海岸沿いに位置する、ヴィクトリア州の州都メルボルンシティから車で約1時間、保養地であり、近年はワイン産地として知られる風光明媚なモーニントン半島を拠点としています。
現在、カウンセラー、精神保健看護師、臨床心理士など、さまざまな専門的な資格と経験を持つ12名のセラピストと、体型や気質の異なる35頭のサラブレッドが1週間で約250人にセッションを行っています。
アイルランド出身のリサは、10代のときから競走馬と関わり、2009年にオーストラリアに移住、調教師の元で調教助手を務めていたこともあります。その後、オーストラリア・ヴィクトリア州の競馬統括機関であるレーシング・ヴィクトリアの馬福祉部門に勤務。「馬術競技やショーホースへの転用が向かない引退競走馬の活用の道をつくりたい」との思いを抱き、かねてから関心のあった心理療法を修得。馬をカウンセリングの場に導入する方法をEquine Psychotherapy Instituteで学び、2018年に2頭の引退競走馬とレーシング・ハーツを立ち上げました。

レーシング・ハーツ: Racing Hearts Equine Assisted Therapy
▶︎ https://www.racinghearts.com.au

馬を介した心理療法の利点とは?エクイン・アシステッド・サイコセラピー

リサは、エクイン・アシステッド・サイコセラピーを「非伝統的な方法による伝統的なカウンセリング」と表現します。
レーシング・ハーツでのカウンセリングは、馬のいる放牧地や馬場で行われており、馬にまたがるものもあれば、馬がただ側にいるだけのものもあります。
研究によると人が馬と接すると、オキシトシン、セロトニン、ドーパミンなどの心地よくリラックスできるホルモンを放出するとされており「クライアントがリラックスしていると、自分の課題や悩み、不安などについて話しやすくなるのです」と彼女は教えてくれました。
また、アシスタント・セラピストとしてカウンセリングに参加する引退競走馬たちが、クライアントの前で横になったり、クライアントと一緒に 1 時間じっと立っていたり、強い不安を抱えているクライアントに歩み寄っていったり、と驚くような行動を目撃しました。「私たちが気付いたり測定したりできないようなことを馬は感じ取っていると確信しています。私がこれまで関わってきたさまざまな馬の中でも、サラブレッドは人とつながる能力に長けていると思います。きっと、彼らが生まれた瞬間から人に手をかけられ、常に人が側にいる環境で生きているので、人と非常に調和しているのでしょう。まるで馬たちが第六感を持っているかのようでもあります」

セカンドキャリアへの移行でつまずいてしまった引退競走馬のためのプログラム

レーシング・ヴィクトリアが提供する、引退競走馬のためのプログラムのひとつに、RESET・Program:リセット・プログラムがあります。気質や年齢・故障歴などの理由でセカンドキャリアへの移行がうまく進まない馬たちをレーシング・ヴィクトリアが直接サポートしてリハビリやリトレーニングを行うプログラムです。
レーシング・ハーツはこのプログラムの対象となった馬たちも多く受け入れています。アシスタント・セラピストとなる馬もいれば、適切なリハビリとリトレーニングを受け、新しいオーナーの元へと旅立っていく馬もいます。
レーシング・ハーツは、人にも馬にもチャンスを与えているのです。

パラ馬術選手のメラニー・ディプロックさん
EPAのサポートを受けながら馬術を続ける クレア・スカーマンさん

身体に障がいを持つ人たちを馬とサポートする エクイン・パスウェイ・オーストラリア

次に訪れたのは、エクイン・パスウェイ・オーストラリア (Equine Pathway Australia以下、EPA)。身体に障がいを持つ人、病気やケガから回復した人たちが乗馬スポーツを行う事をサポートする慈善団体です。
馬場馬術選手であり、長年パラ馬術のコーチを務めたジュリア・バタムス氏によって2017年に設立されました。EPAでも引退競走馬たちが活用されています。遅咲きのスプリンターとして活躍したドゥバウィ産駒のジャングルエッジがEPAでセカンドキャリアをスタートさせていました。
団体を訪れると「こんにちは」と日本語で声をかけてくれたライダーがいました。日本が大好きだというメラニー・ディプロックさんは、2009年に落馬で脊椎圧迫、それに伴う右半身麻痺の症状が残っています。
「事故で人生が終わったような気がしたけれど、私には馬がいてラッキーだったの。今の私には生きる目的があって、目指す目標もあります」彼女はグレード5のパラ馬術の選手でパリ・パラリンピックの出場を目指していました。
そして、もう一人、話を聞かせてくれたのが、クレア・スカーマンさん。彼女は馬が大好きで幼少期から馬に関わり、競馬業界で働いていました。2017年に落馬し腰椎を損傷、自分では身動きのとれない状態で病院に運ばれているときにも「いつになったらまた乗れるのですか?」と担当医師に質問するほど馬のことばかり。リハビリ期間は、人生の中で最も長い12か月だったと振り返りますが、また馬に乗りたいという思いが回復の原動力だったと話してくれました。
精神的にも身体的にも健康な状態に戻るまでEPAのサポートを受けた彼女は「EPAがなかったら、きっと私は道に迷っていた」と言います。
EPAのプログラムが特別な理由は、馬に乗る事だけでなく、心的外傷カウンセリング、理学療法、作業療法、スポーツ心理学、栄養アドバイス、オステオパシー、パーソナルトレーニングなど医療提供者とのセッションが含まれていること。そして、人生で同じような経験を持つ人に出会えるコミュニティでもあり、参加者にとって大きな意味があるように思います。

メラニーさんは、「馬は私のベストフレンド、私の存在のすべて」と最後に話してくれました。

エクイン・パスウェイ・オーストラリア: Equine Pathway Australia
▶︎ https://equinepathways.org.au

馬たちがくれる笑顔

今回も馬に情熱を持った素敵な方々にお会いしたくさんの話が聞けました。世界中どこに行っても、取り組んでいる事が異なっていても「馬」の特別さ、素晴らしさを改めて実感する取材となりました。
馬たちが、人に与えてくれる何か。それは“幸せ”と総称してしまうと、少し言葉が足りないかもしれませんが、馬たちの周りには、これからもいろんな笑顔が溢れているのだと私は思います。

Written by

澤井 靖子 Yasuko Sawai

2006 年ダーレー・ジャパン・ファーム(有)入社、繁殖部門に従事。 2015 年より日本でのゴドルフィン リホーミング プログラムや 現役引退競走馬に関する取り組み全般を担当。 2022 年より岡山県真庭市にあるオールド・フレンズ・ジャパンで 引退競走馬たちとの共生を目指し普及活動を行う。