JRA 馬術&引退競走馬

引退競走馬(アメリカ)
獣医検査・アライバルエグザム
サラブレッド・メイクオーバー

みなさん、前回のコラムに掲載した、磨き抜かれたゴージャスな引退競走馬たちをご覧いただけましたでしょうか?
まだご覧頂けていない方は、前回コラムもぜひチェックしてみてください。
▶︎https://humanwithhorses-jra.jp/columns/03jp/

競走馬の鍛え抜かれた身体とはまた別の美しさを身にまとったサラブレッドたちがとっても素敵ではありませんでしたか?
サラブレッド・メイクオーバー(以下 メイクオーバー)の会場、アメリカ・ケンタッキー州レキシントンにあるケンタッキーホースパークに到着早々、コンディションの良い馬が多いなという印象を受けた私は、この試合に参加する馬たちが受けなければならない獣医検査「アライバルエグザム」を見せていただくことにしました。
馬術の国際大会で実施されるホースインスペクション(馬体検査)を想像して向かった会場で見たのは、全く似て非なるものでした。

メイクオーバー 顧問獣医師のシャノン・リード博士

「アライバルエグザム」が実施される理由

リタイアード・レースホース・プロジェクト(以下 RRP)、エグゼクティブ・ディレクターのキルスティン・グリーン氏は「私たちは、馬のウェルフェア、良好なコンディション、適切なマネジメントに重点を置き人々が思う引退競走馬のイメージを払拭したいのです」と話します。
また、メイクオーバーの顧問獣医師であり、自身も2017年と2018年に選手としてメイクオーバーに参加するなど、引退競走馬のアフターケアに尽力されているシャノン・リード博士は、「“サラブレッドは体重を増やすことができない”、“サラブレッドはベアフット(蹄鉄なし)にはできない”など、世間一般や選手の間でまことしやかに語られるサラブレッドに関する様々な誤解を解きたいと思い、アライバルエグザムを導入した」と話してくれました。
メイクオーバーは、引退競走馬が多才さを発揮しながらセカンドキャリアでイキイキと活躍する姿を披露する場であり、健康診断が行われるのは当然とも思われます。しかしながら参加者への事前の周知や、フェアーな検査手順、実施にかかるマンパワーなど、実施のためにすべきことはたくさんあり、まさに「言うは易く行うは難し」…。その大変さを想像できるからこそ、これらを全てやってのけてしまう主催者、そして参加馬を良好な状態に準備した選手に私は拍手を送りたくなりました。
では、実際の「アライバルエグザム」をご紹介します。

馬と選手に寄り添った検査

私が検査会場へ到着すると、リード博士と選手が馬を挟んで笑顔でお話されており、非常に和やかな雰囲気で検査が進められていました。
検査の内容は、体温、心拍、呼吸数の測定、馬体に傷や腫れがないかの確認、ボディコンディションスコア※1(4点以上でないと参加できない)、マイクロチップのスキャン、ワクチン接種記録等の書類の確認が行われ、それに合格した馬は常歩での歩様検査に進みます。
上記の検査で1つでも基準を満たすことができなかった馬は、第2の獣医師の検査へ。2人の獣医師から基準を満たさないと判断された場合、さらに24時間後に第3の獣医師の再診を受けるオプションが与えられます。馬と選手にとって非常に公正なシステムと言えます。
「私たちはあなたの馬は不合格と言うだけではありません。選手と沢山会話をします。腫れがあるけどどうしたの?など沢山質問をします。」と話すリード博士。実に馬とライダーに寄り添った、フェアーな検査システムに、私はまたまた感心してしまいました。
この丁寧で徹底した検査を約300頭の全参加馬に実施するには大量のマンパワーが必要ですが、この課題もとても有意義な方法で解決されていたのです。

※1 ボディコンディションスコア
▶︎https://blog.jra.jp/shiryoushitsu/2021/01/186bcs-4a91.html
ドン・ヘネケ博士により開発された馬の体脂肪の変化に最も反応する6つの主要なポイントの脂肪の被り具合を視診や触診をもとに1(削痩)~9(極端な肥満)の範囲で判定する方法。

獣医学生のメンターシッププログラム

今年のアライバルエグザムは、同じくケンタッキー州レキシントンにある、ハグヤード馬診療所、キーンランド競馬場、引退競走馬慈善団体アフターザフィニッシュラインのスポンサードを受け実施されました。
競走馬、引退競走馬に関わらずサラブレッドに関わるあらゆる組織が、引退競走馬のウェルフェアをサポートする姿は眩しいほど立派に見えました。
会場では、先程ご紹介した顧問獣医師のリード博士をキャプテンに、ハグヤード馬診療所・ベーリンガーインゲルハイム社から派遣された獣医師・開業獣医師の約10名が検査にあたっていました。
そして、その獣医師のサポート役を30名の未来の獣医師(=獣医学生)が務め、アライバルエグザムという取り組みがメンターシッププログラムにもなっていたのです。
30名の獣医学生(300名以上の参加応募があったそう)は、大会開始前にリード博士から検査内容のデモンストレーションを含む詳しい研修を受け、約300頭の参加馬の検査に獣医師と共に臨んでいるようです。
また、プログラムにはサラブレッド生産牧場訪問、キーンランド競馬場での調教見学や、ハグヤード馬診療所の獣医師とのディスカッションなども含まれ、非常に充実した体験学習の機会となっています。
このようなプログラムを設けた背景のひとつには、馬専門の獣医師不足もあるようです。
このプログラムを機会にサラブレッドに惹かれる学生が増え、獣医師を志す人が少しでも増えることを願っています。

「学び」の提供

メイクオーバーの主催者であるRRPのウェブサイトやYouTubeチャンネルには、サラブレッドまたは引退競走馬の管理やトレーニングに関する「学び」のコンテンツがたくさん公開されています。
アライバルエグザムに関しても、Q&Aセッションやウェビナーを開催し、選手やトレーナーが困らないように丁寧な事前の準備が行われています。
このように、パスしなければならない基準を設けた事と「学び」の相互作用の結果が、あの美しい馬たちの姿につながっているのでしょう。

世界最大の引退競走馬のリトレーニング・コンペティション、サラブレッド・メイクオーバーはいかがでしたでしょうか?
私が最も感心したのは、主催者であるRRPがその使命に忠実であろうとすることです。
RRPはミッションとして「サラブレッドの元競走馬のセカンドキャリアを促進するために存在し、馬術および乗馬スポーツ全般における彼らの需要を高め、彼らを移行させる牧場、トレーナー、組織に貢献する」ということを掲げています。
300頭が集まり、プロ、アマチュア、ジュニアと経験やレベルの異なる選手が10の全く異なる種目に出場する大会を開催することが、どれだけの手間や準備が必要であるか想像しただけで眩暈がしそうです。それも全ては引退競走馬が多才さを披露する場を提供するため。現状のプログラムだけでも感心してしまうのに、それを毎年進化させ続けているのです。選手やトレーナーもまた、そのブレない想いに応え約1年間、手間暇かけて引退競走馬を変身させています。
引退競走馬に情熱を持つ人々が互いに助け合い、互いに学び、その使命を果たすべく取り組む雰囲気はとても特別なものでした。

リタイアード・レースホース・プロジェクト ▶︎ https://www.therrp.org/

Written by

澤井 靖子 Yasuko Sawai

2006 年ダーレー・ジャパン・ファーム(有)入社、繁殖部門に従事。 2015 年より日本でのゴドルフィン リホーミング プログラムや 現役引退競走馬に関する取り組み全般を担当。 2022 年より岡山県真庭市にあるオールド・フレンズ・ジャパンで 引退競走馬たちとの共生を目指し普及活動を行う。