角居 勝彦 KATSUHIKO SUMII
一般財団法人ホースコミュニティ代表理事
日本が世界に誇るホースマン、元トップトレーナーの角居勝彦さん。
数多くの名馬を育て、数多くの名声を勝ち得た彼は、
2021年2月に調教師を引退。
現在は、過疎化が進む北陸の小さな町を拠点に、
引退競走馬の活動に取り組んでいます。
“競走馬”から、”共創馬”へ。
地域が抱える課題を解決しながら、
馬と人が共に生きられる社会を創るために。
角居さんの挑戦は、まだ始まったばかりです。
引退競走馬への想いは、調教師時代から。
調教師時代を振り返りながら、
角居さんは引退した競走馬たちへの想いを語ります。
「3歳の夏までに一勝あげないと競馬では生き残れない厳しい世界ですからね。当時は調教師として常に『これがベストだ』と思って調教していましたけど、完璧ということはもちろんなくて、馬の勝つチャンスを逃した原因というのは、長年やっていると段々と分かるようになってくるわけです。
いつかはそれを償わなきゃいけない時がくるんだろうなって。
そう思っていましたね。」
能登半島の最先端に位置する石川県珠洲市。
角居さんは農園タイニーズファームを拠点にしながら、引退競走馬の取り組みを行っています。
「タイニーズファームは、オーガニックな農業をしながらヤギやニワトリなどを飼い、より良い循環を作っていく農園です。この農園を運営されている大野さんが、一緒に活動していく働き手を求めていたんです。
そこで馬を導入できませんかと相談したところ、面白そうですねという話になり、お会いしたのがきっかけでした。」
馬が地域の役に立つ。 それが共創への第一歩。
「奥能登・馬プロジェクトは、引退した乗用馬や行き先のなくなった馬たちの余生を支え、それが生業となるようにプログラムしていくプロジェクトです。」
奥能登・馬プロジェクトの中心となっているのが、ドリームシグナルという名の引退競走馬です。角居さんはこの馬との出会いをこう振り返ります。
「もともと珠洲に連れてこようと思っていたのは、別のセラピー馬だったんです。でもその時に『もう一頭持っていってもらえないか?』と相談があって。それが、今この農園で暮らしているドリームシグナルでした。ドリームシグナルは競走馬を引退した後乗馬クラブにいたのですが、人を乗せられなくなったことで、殺処分の話も出始めていました…。もう一頭のセラピー馬はまだ若かったので、買い手が見つかって。じゃあドリームシグナルを連れて行きますということになったんです。」
行き先のなかったドリームシグナルは、今、自然豊かなタイニーズファームを住処に、地域で新たな役割を得て穏やかに暮らしています。
「海水浴シーズンを迎える前に、海岸清掃があるという話しを聞いていました。鉢ヶ崎の海岸は、日本の渚百選にも選ばれています。
この海岸がもっときれいになったら、たくさんの方に喜んでいただけるだろうなという思いもあって。
ドリームシグナルを隊長にして、地域の皆さんと一緒に海岸の清掃活動をする『鉢ケ崎きれいにし隊』という活動をしています。
もちろん今、海洋ゴミは世界的な環境問題にもなっていますし、地域の人たちと協力して、きれいな海を楽しみながら守れたら良いなと。
ドリームシグナルがゴミを運ぶことで、地域の役に立てれば良いなと思って取り組んでいます。」
地域に合わせて、現地に合う形で、馬が活きる場を。
「馬って、人間との距離感を測りながら生活する動物なので、ちょうどいい距離感というのを人と馬が構築していくことが一番面白いと思うんですよね。教育だったり仕事だったり、さまざまなプロジェクトに入れてもらえたら嬉しいなとは思いますね。」
そう語る角居さんは、各地域が主体となって取り組む
引退競走馬プロジェクトのサポートにも力を入れています。
例えば、島根県益田市の松ヶ丘病院が開設した就労支援A型事業所※1「さんさん牧場」。
「益田競馬場という競馬場の跡地のすぐ横に松ヶ丘病院という精神科を含めた大きな総合病院があって、そこでも引退競走馬を通じたサポートをしています。」
また例えば、愛媛県今治市菊間町で、約600年続く伝統行事「お供馬の走り込み」でも。
「3歳から15歳までの男の子が祭用の鞍や装飾具を着けた馬に乗って300mの参道を駆け抜けるお祭りなんです。結構過激なお祭りなので、お子さんが安全に馬に乗れるように教育機関と連携して学校教育の中でレッスンを取り入れてもらえるようにお話ししたり。地域のみなさんと馬たちとの付き合い方が、より良いものになるようにサポートさせてもらっています。
益田市のさんさん牧場も、菊間町のお祭りも、そこには既に馬に関連する事業や伝統がある場所です。
それぞれの地域に合わせて、現地に合う形で、馬が活きる場を作っていければ、引退競走馬の居場所ができると思っています。」
※1 障がいや難病を持つ方が雇用契約を結んだ上で、職場で一定の支援を受けながら働くことができる福祉サービス。
あらゆる知識や経験、繋がりを、馬と地域のために。
「過疎の問題、高齢者の福祉の問題、介護の問題、それから子どもたちの教育の問題など。これらの課題に対応するには地域ごとに共生しなくてはならないわけですが、気持ちが一つにならないと難しいと思うんです。みんなの気持ちを一つにすることを、馬が核になってできたら、という想いがありますね。」 日本の地域が抱える課題は多岐にわたります。 その解決策の中心に馬を据えられたらと角居さんは考えています。 「これまで調教師として得た知識や経験、それから引退競走馬を支えていきたいという想いから生まれた人との繋がり、こういったもの全てを自分だけのものにとどめるのではなく、もっとみなさんで活用していけたらと思っています。競馬ファンのみなさんが僕の名前を知っているおかげで、こういう活動もしやすいというのもありますし、そういうのは全て使って、死ぬまでに全部使い切りたいなとは思いますね。僕が生きているうちにできればいいなと思っていますよ(笑)。」 馬と人が共に生きられる新たな社会へ。 角居さんの挑戦は、これからも続きます。